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下田ひかり個展「やがてゼロに至る黙示録」 15/01/14 - 02/01 |

『下田ひかり個展「やがてゼロに至る黙示録」 』
http://www.gallerycomplex.com/schedule/Hall15/shimoda_hikari.html
15/01/14 - 02/01
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このたび、The Artcomplex Center of Tokyo (ACT) では、2015年1月14日から2月1日の期間で、下田ひかり個展 “やがてゼロに至る黙示録”を開催する運びとなりました。
下田は、自身が感じる生命や人類が生み出してしまう負の循環の煩わしさを、子供をモチーフとした作中の “ヒーロー・救世主” に思いを託すようにして表現し、鑑賞者に問いかける作品を2007年から発表し続けています。 また、作家活動と平行して、書籍やCDなどの装幀画を手がけるなど、イラストレーターとしても幅広く活動しており、 その独特な色使いで描かれた子供たち/ヒーローたちは、国内のみならず海外からの注目度も高く、今後の活動が 期待される作家です。
さらに本展では、絵画、写真、漫画、映像、音楽などの多ジャンルの作家が展覧会にゲスト参加し、下田の提示する 「現代の世界の姿」「世界をもう一度やり直すための儀式」「人類が滅びた世界」というテーマを、それぞれの視点から 多角的に捉えた作品を展示し、下田の世界感を様々な角度から楽しんで頂ける構成になっています。 年々進化を遂げている下田ひかりの大規模な個展です。是非ご高覧ください。
<出展作家>
下田ひかり http://hikarishimoda.com/
<ゲスト出展>
arai tasuku(音楽) / 上野陽介(絵画) / 内田ユイ(絵画)
大槻香奈(絵画) / 川村元紀(インスタレーション)
ノモトヒロヒト(写真) / ふみふみこ(漫画)
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やがてゼロに至る黙示録
様々な宗教の世界では「終末論」という考えがある。
絶対者( 救世主) が世界を終わらせる時、苦難の世に生きる人々にとって、それは救いであるというのだ。 しかし未だこの世に救世主は現れず、苦難の世は続く。人類は戦争を繰り返し、原発事故後も 懲りずに原発を作り続け、生きる為に病み、「人類を滅ぼす」為に一生懸命だ。 個人の力だけでは曲げようもないこの途方もないパワーは、予めDNA に組み込まれているとしか 思えない。いずれ人類が人類を滅ぼす。 それならば、人類にとっての救世主は何だろうか。人類が 人類を滅ぼし、自ら苦難の世を終わらせるなら、人類は自分達を滅ぼす救世主を自分達の手で 創り出すのだろう。
あらゆる生物が遺伝子によって無意識化のうちに生死を繰り返し、進化と退化を繰り返して続いて いくように、人類も集合無意識によって神を創り出し、滅んでいくのかもしれない。 では、こんな世界を再びやり直す為に必要なものは何だろう。 人類が滅びない為に成すべき事はあるのか。 もし人類が滅んだとして、もしもう一度人類が始まる として、そうなった時に必要なものは何だろうか。 現代とは、未来とは、宇宙や神とは。 現代と未来を見据え、見る人に問いかけになる展示にしたい と考えている。
下田ひかり
もくしろく 【黙示録】
新約聖書の最後の一書。95 年ごろローマの迫害下にある 小アジアの諸教会のキリスト教徒に激励と警告を 与えるために書かれた文書。
この世の終末と最後の審判、キリストの再臨と神の国の 到来、信仰者の勝利など、預言的内容が象徴的表現で 描かれている。
ヨハネ黙示録。アポカリプス。
―小学館 大辞泉より―
0 【ゼロ】
サンスクリット語: sunya(シュー ニャ)は、 su (= svA, svi、成長・繁栄を意味する動詞)からつくられた suna から発展し、「…を欠いていること」という意味で ある。また、「膨れ上がった」、「うつろな」を意味する。 転じて、膨れ上がったものは中空であるの意味もあり、 初期の仏典にもその意味で登場することがある。 シューニャはインドの数学における「 0 (ゼロ)」の 名称でもある。
仏教における空とは、仏教の因果論の究極形であり、 因果および因縁の複雑な連関である。
慣用表現では、「無」以外にも「始まり」との意味で 0 が使われる事もある。
―wikipedia より―
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at : The Artcomplex Center of Tokyo(アートコンプレックス・センター)
東京都新宿区大京町12-9
tel.03-3341-3253
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・イベント他詳細 上記URL先参照