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一髙理科へようこそ―科学する心 15/07/18 - 09/23

『一髙理科へようこそ―科学する心』

http://museum.c.u-tokyo.ac.jp/exihibition.html#ichikorika

15/07/18 - 09/23

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  戦前期の高等学校、いわゆる旧制高等学校を代表する存在であった第一高等学校(一髙。1886年から1894年までは第一高等中学校)では、卒業後さらに法律・政治・文学・科学・工学・農学・医学等を帝国大学に於いて学び、各分野の指導者となるべく督励された若人のための基礎教育が実施されていました。東京大学教養学部に残された資料からうかがうことのできる、一髙の教育の内実や設備、教授陣は、当時の日本がこの学校に寄せた期待の大きさを物語っています。一髙出身者としては、政治家・官僚・文学者などのほうが有名かもしれませんが、いわゆる理科(理・工・農・医の志望者のための課程)の教師や出身者にも、日本の歴史に彩りを与える名前をいくつも見ることができます。
  量子論・相対論の開拓者として顕著な業績を挙げながら、歌仲間の原阿佐緒との不倫で教職も家族も捨て、以後は日本の科学ジャーナリスト第一号として活躍した石原純(明治35年卒)、大正11年に来日したアインシュタインに反相対論で挑みあっけなく散った土井不曇(大正6年卒)、一髙理科を卒業しながら京都で西田幾多郎に哲学を学び唯物論研究会の創始者の一人となった戸坂潤(大正10年卒)、共産主義活動で一髙を解雇されながらも科学論・科学史の開拓者となった岡邦雄(大正14年から昭和7年まで勤務)……。岡はまた、師の石原に倣ってか、妻子を捨てて自分より20歳若い桝本セツとの生活に走ってもいます。このように、硬軟両派、左右両翼に多様な人材を提供した一髙理科の理念を一語で表すとすれば、それは「科学する心」――というわけではありませんが、太平洋戦争勃発前後に流行したこの言葉もまた、昭和12年から15年まで校長を務めた橋田邦彦(明治37年卒)が、昭和15年に、「皇基の振起」のための「行としての科学」を提唱する際に用いたものでした。
  こうした一髙理科出身者たちは、何を使って何を学び、またどのような機器で実験や実習を行ったのでしょうか。本展は、東京大学駒場博物館の所蔵する実験機器や教材等の資料を用いて、戦前の一髙理科の教育の一端を紹介しようとするものです。理科の語で思い浮かぶ内容のみならず、一時期は必修であった測量や画学(図学)の教材や作品なども会場に並びます。みなさんも、一髙理科へようこそ!
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at : 東京大学大学院総合文化研究科・教養学部 駒場博物館 1階展示室
東京都目黒区駒場3-8-1
tel.03-5454-6139
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